お正月に飾る鏡餅もある程度飾れば食べますよね。そんな鏡餅を食べる儀式に鏡開きというものがあります。
そこで今回は、
鏡開き2025年の日にちはいつなのか。
そして関東と関西の日にちの違いや、鏡開きの由来や意味についてまとめました。
鏡開き2025年の日にちはいつ?
お正月には正月飾りとして鏡餅を飾りますよね。
この鏡餅は歳神様を宿す依代となって、今年一年の健康や家族の繁栄を願うために大切な飾り付けなんです。
そんな神様の宿った鏡餅を割って、みんなで分けて食べるというのが鏡開きです。
鏡開きで分かれたお餅を、一家の家長が家族みんなに振る舞って「今年もよろしく、一年健康で頑張ろうね!」
こんな感じで食べてようやく鏡餅の役割も終わります。
2025年の鏡開きの日にちはいつなのか。
そんな鏡開きの日は一般的に「1月11日」となっています。
これを確認してみると、2025年1月11日(土)となっていますね。
お正月に飾る鏡餅って、いったいいつから始まったんでしょう?なんでお正月に鏡餅を飾るのか、そもそもどうして鏡餅っていう名前なのか?
いろいろ疑問に思う所もありますよね。
そんな鏡餅の意味や由来について詳しくはコチラで!
鏡開きの日にちが関東と関西で違う
一般的には1月11日が鏡開きの日なんですが、なぜ鏡開きが1月11日なのか?
それは江戸時代のことになりますが、幕府では1月11日が「蔵開きの日」となっていました。
蔵開きとは、商人たちが新年初めて蔵を開き商売繁盛を祈る風習のことで、それが鏡開きになったと考えられています。
そもそも鏡開きは1月20日で、1月15日(小正月)までが松の内だったので、全国的にも1月20日だったのです。
また武家社会で「刃柄(はつか)」を祝う行事があり、その「はつか」から
となり1月20日になったとも言われています。(*刃柄=剣の刃や柄のこと)
ただ、この時代に明暦の大火(めいれきのたいか)や振袖火事、丸山火事と呼ばれる江戸の大半を焼いた大火事がありました。
それによって「正月飾りが燃えるといけないから早めに片付けてしまおう。」ということで「蔵開きの日」に合わせるのがいいだろう、ということで1月11日になったと言われています。
という話もあり、松の内が1月7日へと変わったと考えられてます。
そしてさらに徳川三代将軍家光の忌日が4月20日であったため、大名家が20日という命日を嫌って1月11日に合わせたという話もあります。
それが全国にも広まり北海道から九州まで、1月11日に鏡開きが行われるようになり現在も続いているというわけです。
ただ、関西ではその日にちを取り入れず、本来の松の内の日である1月15日や1月20日に鏡開きが行われています。
京都では三が日が終わる1月4日に、鏡開きが行われるという地域もあるようです。鏡餅をいつまで飾るかは、関東と関西で大きく違うようですね。
鏡開きの由来や意味とは?
鏡開きの由来や意味とは何なのか?
最初にも少し触れましたが、鏡餅は正月に各家を訪れる歳神様を宿すための依代に鏡餅が置かれるのです。
鏡餅の「鏡」という名前の由来には、鏡は神様や霊が宿ると信じられており、祖の鏡の丸形を模しているわけなんです。
つまり鏡餅の丸は鏡を表し、三種の神器の一つでもある「八咫鏡(やたのかがみ)」になぞらえられています。
鏡餅という名前は、丸い餅の形が銅鏡に似ており、鏡に映る自分を「鑑みる(かんがみる)」ということから「鑑餅 → 鏡餅」と名前が変化したと考えられています。
そして丸形は「円満」や「心臓」を意味し、夫婦円満で家族全員が健康で暮らせるように祈ったわけです。
そんな歳神様が宿った鏡餅を1月11日(関西では15日)の鏡開きで細かく分け、家長が一家全員に振る舞う「御歳魂(おとしだま)」をみんなで食べることで、今年一年を無事に過ごせるよう縁起を担いだのです。
この御歳魂は現在のお年玉の由来となってるんですね。
お年玉が「お餅」から「お金」に変わった理由などもわかりますよ!
鏡開きの由来は江戸時代から
鏡餅の原型は平安時代にはすでにあったと言われています。
源氏物語の一節に
正月行事の「歯固めの儀」というものに由来があると言われています。
お餅は昔から神聖な食べ物(神饌:しんせん)とされ、長く伸びるということからも健康長寿の縁起物とされてきました。
室町時代以降になると家に鏡餅をお供えし始めるようになり、一般的に広がりを見せたのは、江戸時代になってからと考えられています。
鏡開きはもともとは仕事始めの日で、先程の「蔵開きの日」も商人がその年の一番最初に蔵を開ける日です。
武家では鎧などの具足に具足餅というものを供える風習がありましたが、それをお雑煮などに入れて食べる「刃柄(はつか)」を祝う行事を「具足開き」と呼ばれてました。
農家では鍬初め(くわはじめ)と言われる行事があり、1月11日に恵方に向かって畑に鍬を入れ、お餅を食べて豊作を祈る行事もありました。
このように仕事は違えど、新年最初の仕事始めとして鏡開きというものが行われていたのですね。
その鏡開きは江戸時代の徳川家光の時代に定着し、女中たちにも雑煮やおしることして振る舞われたようです。
鏡開きの名前の由来
鏡餅の意味は「鏡餅には歳神様が宿る」という依代です。
そんな鏡餅を木槌などで割る行事を鏡開きといいますが、「鏡切り」とか「鏡割り」になっていないのは何故なのか?
どうして包丁で切ったりせず、木槌で割るようなことをするのか?
これは鏡餅に宿る歳神様に刃物を向けるのは非常に縁起が悪いためなんですね。
刃物で鏡餅を切ることは「縁を切る」という意味もあったり、武士の間では切腹に通じるとして悪い意味になってしまいます。
だから「鏡切り」はダメだし「鏡割り」という名前も、割るという言葉が神様に向けて適当な言葉ではありません。
そこで鏡餅が「まるで扉が開かれるようにパカっと分かれる様子」から、鏡開きになったと考えられています。
体験談:私の家では鏡開きは全く無視してた!
ここまで鏡開きについて関東は1月11日だとか、関西は20日のままだとかいろいろ書きましたが、我が家ではそんな事はオール無視!
というか知りませんでした^^;
そんな事とはつゆ知らず、
- カビが生えたらお餅食べれないからもったいないよねえ。
- 早めに食べないと、正月気分も抜けるし。
- まだ雑煮があるから一緒に鏡餅も入れちゃおう。
みたいな感じで、鏡開きというものを特に意識せず、ただただ効率やもったいないという意識ばかりでした。
神様が宿る鏡餅を、そのまま雑煮の寸胴にダイブさせてたのだから罰当たりってなもんです。これからはちょっと考えて鏡開きの儀式も取り入れたいと思います。
あとがき
鏡開き2025年の日にちはいつなのか。
そして関東と関西の日にちの違いや、鏡開きの由来や意味についてまとめましたがいかがでしたか。
そんな正月を迎えるにあたって正月飾りやお年玉の準備などいろいろ忙しくなると思います。
正月は飾りやお年玉などでいろいろと悩みもありますよね。
楽しく正しいお正月を迎えるために知っておきたいマメ知識やマナーなど、たくさんの記事をこちらでまとめています。
正月飾りの意味や出す時期、関東と関西の文化の違いやお年玉の相場など、面白い話もたくさんあるのでぜひ気になるページを読んでみてください!
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そんな時のために今回は、真空パックの固い鏡餅の食べ方はどうすればいいのか。
そんな鏡開きの方法についてコチラでまとめてるので、ぜひ読んでみて下さい。
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