お月見の由来や意味とは?歴史や風習と必要なものや楽しみ方
2018.08.29
お月見の由来や意味って何だろう?
9月や10月の秋にはお月見をされる機会もあると思いますが、いったいいつからお月見をやるようになったのか?
どんな歴史があって今のようなお月見が定着したのか不思議ですよね。
また、昔の人も今のようなお月見のスタイルで楽しんでいたんだろうか?
考えてみると、お月見について知りたいことがたくさん出てくると思います。
そこで今回は、
お月見の由来や意味とは何なのか。
またお月見の歴史や風習、お供え物の月見団子やすすきの意味。
お月見に必要な物や楽しみ方など、その時代ごとのいろんなお月見のスタイルをまとめてみました。
スポンサードリンク
お月見の由来や意味とは?
9月になるとお月見を楽しむ時期として知られていますよね。
その中でも「中秋の名月」と言う言葉も聞くと思いますが、旧暦8月15日に訪れる満月のことを指しています。
このお月見の由来や歴史ですが、遠く平安時代にまでさかのぼります。
実は、中秋の名月のお月見の由来は、中国の「中秋節」という習慣が伝わったこととされています(諸説あります。)
そしてこれが日本に伝わってきたのは、平安時代と言われていますね。
この中秋の名月は、別名で
- 十五夜(じゅうごや)
- 望月(もちづき)
- 望(ぼう)
- 三五の月(さんごのつき)
- 芋名月(いもめいげつ)
- 名月(めいげつ)
- 満月(まんげつ)
このように呼ばれることもあります。
「芋名月」などと呼ばれるのは、この時期に収穫される「芋」をお供えし収穫を感謝したという意味が込められています。
スポンサードリンク
お月見の歴史や風習は?
日本でも平安時代の前から月を眺めて楽しむことはあったようですが、
「月を眺めながら詩を詠む」
といった楽しみ方を始めたのが平安時代と言われており、醍醐天皇時代に月見の宴を開いたというのが記録として残されているようです。
ですので、当時は「貴族の間での楽しみ」といった感覚で、一般庶民には浸透はしていなかったようです。
お月見の風習と江戸時代
このお月見の風習は、江戸時代に入ってから農民や武士などの間にも浸透し広まったと言われています。
今は月見団子片手に眺めるような楽しみ方ですが、江戸時代は月見団子ではなく、この時期に収穫される「芋」をお供えし収穫を感謝したと言われています。
そのことから、別名「芋名月」とも呼ばれてきました。
そして、この芋の収穫が終わると、いよいよお米の収穫の時期も近づいてきます。
そこで月へのお供え物をお米で団子にして作り、豊作をお祈りしていたと言われています。
お月見はこのような歴史とともに移り変わっていき、今のように月見団子というものが定着したのではないかと言われていますね。
また、この月見団子は満月もイメージして作られたと言われていて、健康長寿の意味も込められていたと考えられています。
スポンサードリンク
お月見のススキの意味
お月見で月見団子は欠かせませんが、よくお団子を用意する時にススキもセットで合わせますよね。
あのお月見のススキにも意味があります。
実は、本来はススキではなく「お米の稲穂」が月の神様の依り代と言われています。
その理由は月見団子のときと同じく、お米の豊穣を祈ったものだったのですね。
ただ、この時期にはお米の稲穂がなかったため、その代用として形に似ているススキを使ったと言われています。
また、ススキには魔除けの意味も込められており、お祈りには最適だったのですね。
ススキとお団子の位置ですが、
- 月から見て左側:ススキや稲など
- 月から見て右側:月見団子
このような位置関係にして備えるといいようです。
月見団子とウサギの意味
「ウサギがお月様でお餅をついている」というのは、さまざまな説がありますが、インドの「ジャータカ神話」のお話が有名です。
帝釈天(たいしゃくてん)と呼ばれる神様が、みすぼらしい老人に姿を変えて倒れたふりをし、キツネとサル、ウサギに食べ物を乞いました。
キツネとサルは老人に食べ物をあたえましたが、ウサギには何もありません。
そこで考えたウサギは
「私を食べて下さい」
と言い残し火の中へ飛び込み、自分を老人に捧げました。
これを見た帝釈天は感動し、ウサギの姿を月に残したと言われています。
また、これが日本に伝わったときには、日本の「望月(もちづき)」と合わさって、
うさぎが餅突きをしている。
と、言われています。
*望月というのは「満月」「十五夜」のことです。
コメント