七夕の発祥の地と言えば「中国かな?」と思う人も多いでしょう。
でも、今日本で行われているような形の七夕は、実は中国にはなかったんですね。
起源は中国にありますが、実は、日本で独自の発展を遂げていった行事なんです。
そんな七夕は、
- どうして7月7日なのか?
- なぜ「七夕(たなばた)」と呼ばれるのか?
- なぜ、笹に飾りをしたり短冊にお願い事を書くのか?
不思議なことが多いですよね。
今回は、この七夕に込められた由来や意味、織姫彦星の物語の伝説も含め、七夕が生まれたワケについて解説していきます。
歴史とともに大きく様変わりしていった、七夕の深いお話についていっしょに触れていきましょう。
七夕発祥の地と起源とは?
七夕について思い浮かべると、
- 織姫や彦星のお話(星伝説)
- 笹の葉
- 短冊の願い事
これらが頭に浮かぶと思います。
そんな七夕の行事は、実は『日本独自のもの』もあったりして、その時代に応じて様変わりしてきたんです。
この七夕の発祥の地は「中国」にあり、中国の七夕の話と日本文化が混ざって今のような形となったワケなんです。
七夕の発祥の地、中国から日本に伝わるときに、
- 織姫と彦星の物語(星伝説)
- 乞巧奠(きこうでん)と呼ばれる宮中行事
この2つが結び付いてさまざまな歴史の流れがあり、今のような形となって日本特有の行事となりました。七夕の起源はこのように考えられています。
織姫と彦星の物語(星伝説)とは?
織姫と彦星のお話(星伝説)は知っている人も多いですよね。
一応ですが、簡単にそのお話についてまとめます。
天帝の娘である「織女(しゅくじょ)」が天の川の西の岸におり、機織りが上手な働き者だったのです。
でも、天の川の東側にいた「牽牛(けんぎゅう)」と出会い、2人は仕事もしないほど恋に夢中になってしまいました。
すると、織女は機織りをしないため人々の服装は貧しくなり、牽牛は牛の世話をせず牛に病気が蔓延してさあ大変です。
それに怒った天帝が、天の川を境に引き離してしまいました。
ただ、年に1度の7月7日の夜だけ会うことを許しました。
しかし、この日に雨が降り、天の川の水が増えて渡ることが出来ません。
そんな時、鵲(カササギ)が橋渡しをしてくれ、2人は無事会うことができたのでした。
と、このようなお話となっています。
星座の中にも牽牛星と織女星というのがありますよね。
- わし座のアルタイルが牽牛星
- こと座のベガが織女星
そして、白鳥座のデネブを加えた3つの星を結んで「夏の大三角形」と呼ばれる星座があります。
私たちの見た目では同じくらいの星の大きさに見えますが、実はデネブだけすごく遠いところにあるようですね。
乞巧奠(きこうでん)とは?
七夕の発祥の地でもある中国では、この「乞巧奠(きこうでん)」と呼ばれる宮中行事が行われていました。
この乞巧奠(きこうでん)とは、機織りが上手な織女にあやかり、7日の夜に「針や糸を供えて、手芸の上達を願う。」といった宮中行事でした。
7月7日の夜に女性たちが7本の針の穴に色鮮やかな糸を通し、さまざまなお供え物を用意して針仕事、機織りの上達を祈ったとのことです。
日本での七夕発祥の地は
日本では「大阪府の枚方市や交野市あたり」が七夕伝説発祥に地という説があります。
この土地には「天の川」という、京阪電鉄交野線に沿うようにして流れる小さな川があります。
平安時代にはこのあたりは交野ヶ原とも言われ、貴族たちが狩猟を楽しむ土地として栄えてきました。
その様子は『古今集』にも記載があり、在原業平が惟喬親王の狩猟の供をした時に
と詠んだ歌が残っているようです。
狩をして日が暮れたので、今夜は織姫の家に泊まりましょう。
天の川に来てしまったのだからね。
この詩はこんな意味があると考えられてます。
七夕の由来や意味は?
さて、七夕発祥の地の中国では
- 織姫と彦星の物語(星伝説)
- 乞巧奠(きこうでん)
この2つが合わさり、
このような宮中行事だったようです。
日本にこれが伝わり進化を遂げて現在のような七夕となったのですが、日本で七夕(たなばた)と呼ばれるようになったのは、
天なるや 弟棚機の
うながせる 玉の御統
御統に あな玉はや
み谷 二わたらす
阿遅志貴高日子根の神そ
この歌は夷振(ひなぶり)なり
(古事記 上つ巻 天若日子)
もしくは『日本書紀』葦原中国平定の1書第1にある「乙登多奈婆多」のなかで詠まれた歌が由来であると言われています。
七夕(たなばた)と呼ばれる由来や意味は?
七夕と書いて「たなばた」というように読みますが、7月7日の夕方を表して「しちせき」と呼ぶこともあります。
七夕(たなばた)という呼び方の由来は、古来の日本での「棚機女(たなばたつめ)」の説があります。
「棚機女(たなばたつめ)」とよばれる女性が機織りをし、稲の収穫の無事や豊作を神様に祈るための行事がありました。
その機織りをするのが「7月7日の夕方(夜)」となっていたようで、月の動きとも関係があるようです。
そうしてできた布を神様にお供えしたわけですが、この
「7」月「7」日の「夕」方に行う「棚機(たなばた)」の行事。
ということで、七夕(たなばた)と呼ばれるようになったと言われています。
「たなばた」は当て字として使われたわけですね。
棚機女(たなばたつめ)と七夕の由来
ネット上でよく言われている「棚機女(たなばたつめ)」と七夕の関係ですが、民俗学者の折口信夫氏による棚機津女の伝説が多く見られていますが、それは次のような話です。
日本では昔から機織りをしてできた布を、神様にお供えすることで天災や厄災から守ってもらう、そして豊作をお祈りしていた行事があった。
その布を織る役目を持った女性が「棚機女(たなばたつめ)」と呼ばれており、機織りをして布を用意する行事が風習となっていた。
それが七夕の起源である中国から伝わった、
- 織姫彦星の物語(星伝説)
- 乞巧奠(きこうでん)
そして、日本の神事でお供えする布を織っていた
- 棚機女(たなばたつめ)
と重なったこと
このような棚機女伝説のお話がありますが、「古事記」などの歴史的文献からの根拠はなく想像の域で記載されたものとされていて、この一説がもっともらしく聞こえるため広く伝わっています。
実際にネット上や歳時記の本にもこのように書かれているため、これが正式な伝承だと思っていましたが、深く調べてみるとそうではないようです。
これはコメントに指摘をいただきわかったことなので驚かされました。(*これも七夕の由来や意味の中の一つの説です。)
七夕と五節句の風習
ちなみに、この七夕は「五節句」と呼ばれる日本の風習の一つです。
その「五節句」には、
- 1月7日:人日(じんじつ)の節句「七草粥」
- 3月3日:上巳(じょうし)の節句「桃の節句、ひなまつり」
- 5月5日:端午(たんご)の節句「こどもの日」
- 7月7日:七夕(たなばた)の節句「笹の節句」
- 9月9日:重陽(ちょうよう)の節句「菊の節句」
七夕はこのうちの一つで、中国の暦と日本の風習が合わさって、このような季節の節目が生まれたようです。
七夕で短冊にお願いを書く意味や由来とは?
さて、七夕というとどのようなことを思い浮かべるのか、ここでもう一度考えてみましょう。
初めにもちょっと触れましたが、
- 織姫彦星(星伝説)
- 天の川
- 笹の葉
- 七夕飾り
- 短冊・願い事
こういったイベントやお話が思い浮かびます。
そうですよね、七夕と言えば「短冊にお願い事をして笹の葉に飾る。」これは七夕の代名詞ともいえるイベントではないでしょうか。
その七夕の短冊の意味や由来について知っていくと、さらに奥深くなります。
それには初めに紹介した、七夕発祥の地である中国の
- 織姫と彦星の物語(星伝説)
- 乞巧奠(きこうでん)
この2つの起源が大きくかかわっていたのでした。
七夕の短冊飾りと笹の魔除けの意味
七夕の短冊にお願い事を書いて笹の葉に吊るすということが始まったのは、実は江戸時代からと言われています。
もともとは、「織姫と彦星の物語(星伝説)」や「乞巧奠(きこうでん)」のお話にもあるように、
こんな意味があったわけです。
だから、日本でも七夕は
こんな願い事をする日でもあり、それが長らく続いていたようですね。
ただ、これは時代とともに変化していき、七夕飾りの「紙衣(かみごろも)」として今でも残っています。
紙ごろも:裁縫や機織が上達しますように。
これが江戸時代あたりに、今のように笹の葉に七夕飾りをしてお願いしだしたと言われています。
そんな七夕の短冊などが歌詞になった七夕の歌もありますね。
参考ページ七夕の歌詞や意味は?童謡「たなばたさま」の笹の葉さらさらや砂子とは
七夕には童謡の「たなばたさま」という歌詞はどうだったのか。
「笹の葉サラサラ」「砂子」「五色のたんざく」など、どんな意味なのかまとめたので、ぜひこちらも読んでみてください。
その短冊に願いを書いて笹の葉に吊るしますが、これは江戸時代の寺子屋(学校の事)の子供たちが、
ということでお願いを書いたこともあり、こうやって町民の間でも広がりを見せていくようになりました。
一方で笹の葉に吊るしたのは、
災厄から守ってくれるという意味で「魔除け」になると考えられ、笹の葉を使うようになったのです。
この七夕の飾りつけや短冊には、実は他にも様々な意味が込められてます。
七夕の飾りつけや短冊の意味についてはコチラでもっと詳しく知ることができますよ。
あとがき
七夕発祥の地はどこで始まったのか。
その起源や伝説、そして七夕についてどんな由来や意味があるのか?
織姫彦星の物語のお話も含め、七夕が生まれた事についてまとめましたがいかがでしたか。
七夕の形は中国から伝わったものより、歴史とともに日本で大きく変わってきたのですね。
織姫と彦星のお話のほうが近いような感じなんでしょうね。
七夕には短冊や飾り付け、願い事など様々なキーワードがありますが、これらの意味や由来を知っておくと月見がさらに楽しめるようになります。
そんな七夕を100倍楽しむためにたくさんの豆知識をまとめました。
非常に興味深い話がたくさんあるので、ぜひ気になる記事をご覧になってください!
そんな七夕の行事では、今回の起源のお話や短冊などありますが、「七夕に食べるご飯やおやつ」も楽しみのうちの一つですよね。
もし、まだメニューが決まっていないのなら、実は七夕には定番の食べ物というのがあるんです。
今年の七夕は、ぜひその定番メニューで楽しい食事にしてはどうですか?
あなたも絶対に知っていて、しかも簡単に作れる食べ物です。
アレンジも効くので七夕仕様にも簡単にできますよ。
コメント
「日本では昔から機織りをしてできた布を、神様にお供えすることで天災や厄災から守ってもらう、そして豊作をお祈りしていた行事があったのです」とのことですが、その様なことを証明する文献は、『万葉集』『古事記』など最古の文献のどこにも見当たりませんよ。みな折口信夫が閃きによって説いた棚機津女伝説が、歴史的事実であるかのように思っていますが、それをまともに信じている歴史学者は、おそらく日本に一人もいないでしょう。
milk3さん、コメントありがとうございます。
七夕などのことが書かれていた本で確認した内容と、ネットでの内容が同じであることからそれをまとめて書いたものですが、milk3さんからの指摘にあるようにあらためて調べてみると『古事記』上つ巻の天若日子による「弟織女(オトタナバタ)」などが語源として言われているようですね。ただ、これもあくまで考えられる説の一つであることや
折口信夫氏からの説がネットを介して波及し一般販売されている本などにも影響を与えて、これが正しい七夕伝説というようにまで至っていたということに驚かされました。
それに際して七夕説話伝承考(大久間喜一郎)なども読んでみましたが、七夕伝説については様々な説があり、折口氏自身も古事記に書いてあるなどの言及はないが民間習俗を想像して書いたものとしてに留めていることなどもわかりました。
ですので、私が今回作成した記事はmilk3さんが指摘していただいた通り、折口信夫氏の想像でありこれが歴史的事実であるかどうかは疑問点が残る記述であったことがわかります。記事にはその旨を伝えた上での修正を加えておきたいと思います。
至らなかった点を指摘していただきありがとうございました。
再び投稿します。あなたの説かれていることに対する反対意見を無視することなく、削除なさらないことに対して、公正な学問的姿勢を感じ取り、感服いたしました。
笹竹を用いることについては、唐の時代に既に始まっています。それはそのまま模倣され、太平記にも記されています。また室町幕府の年中行事記録にもはっきりと記されています。ネット上には笹は防腐の効果があるからとか、葉擦れの音が祖霊を招き寄せるからとか、中空の部分に神が宿るからなど諸説が説かれていますが、文献史料の根拠を示したものは皆無です。竹に願いの糸を懸けて七夕鳴かざる風習は、唐の詩人白居易の白氏文集に記され、日本の和漢朗詠集にも記されていますよ。ネットで[うたことば歳時記 七夕にはなぜ竹に短冊を飾るの?]と検索して御覧下さい。